江戸時代には、街道の整備に伴い距離を示す目印として、一里(約4km)ごとに道の両側に塚を築き、エノキやマツなどを植えました。この一里塚も、山陽道の整備に伴って築かれたもので、かつては大松が一里塚の象徴となっていましたが、落雷を受けて枯れたため、昭和35(1960)年に伐採されており、現在では標柱が当時をしのばせるのみです。