鬼の釜
おにのかま
鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。
この釜は、現在新山集落の一画にあります。「湯釜谷という所にあったものを、享保7(1722)年10月に地元の人が現在の場所に運び、その時底が壊れた」、また「釜はもともと二つあり、新山寺の僧がその一つを阿曽村の鋳物師に与えた残りである」、「阿曽村の鋳物師が持ち帰り、一つを壊すとたたりがあったので、残る一つを新山へ返した」などの伝承がありますが、定かではありません。この地は山岳仏教の聖地で、新山別所の浄土堂を修理し、阿弥陀(あみだ)仏を安置した鎌倉時代の僧:重源が、山口県の阿弥陀寺で湯釜を寄進したとされていることから、新山でも人々のために湯屋をつくり、湯釜もつくったのではないかと考えられます。
名称 | 鬼の釜 | |
所在地 | 総社市黒尾 |
指定区分 | 市指定 工芸・考古 |
指定年月日 | 昭和39(1964)年 5月27日 |
管理者 | 個人 |
大きさ・寸法 | 口径185.2cm 高さ104.5cm |