下村経塚
しもむらきょうづか
経塚を覆っていた土はすでに除去され、囲い石のみが数十個残っています。その中央には、経文を納めた壺(つぼ)を埋納していた穴の跡がみられます。大正時代に盗掘されましたが、亀山焼きと呼ばれる格子のタタキ目が表面にみられる壺に、経文の巻物が納められていたことが確認されています。
経塚は、末法思想が流行した平安時代末期~鎌倉時代ごろ、釈迦(しゃか)入滅後56億7千万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出現する時まで経典を残すため、経筒などに経典を納め地中に埋めて盛り土をした塚です。当時の信仰や思想を知る上で貴重な遺跡です。
名称 | 下村経塚 | |
所在地 | 総社市下倉 |
指定区分 | 市指定 史跡 |
時代 | 平安時代 |
指定年月日 | 昭和41(1966)年4月14日 |
管理者 | 個人 |