総社市の概要・沿革
総社市は、岡山県の南西部に位置し、東部は岡山市、南部は倉敷市の2大都市に隣接しています。人口は68,994人(平成31年4月1日現在)、総面積は211.90平方kmで、地域の中央を北から南に岡山県の三大河川のひとつ高梁川が貫流しています。年平均気温は16.5℃前後、雨量は年間1000mm前後で、瀬戸内海特有の温暖、少雨の恵まれた気候です。
概要
本市は、かつての古代吉備の国の中心として栄えた地域であり、縄文以前から人々が生活していた形跡が見られます。古墳時代には吉備の中心地として栄えたことをうかがわせる数多くの古墳が残されています。
飛鳥・奈良時代には、備中の国府も置かれ、国分寺、国分尼寺も配置され、備中の国の政治・経済・文化の中心地として栄えました。平安時代には備中国内の神々を合祀した総社宮が建てられました。総社市の名称はこれに由来しています。
鎌倉時代以降は、地方政治の町から山陽道や高梁川の水運を生かした、門前町、宿場町的性格に様変わりするととも、豊かな農村地域としても発展しました。江戸時代には、岡山藩や足守藩など複数の藩領や幕府領など複雑な統治形態となっていました。
高度成長期の昭和40年代頃からは、県南工業地帯の発展に伴い、宅地開発が進むとともに、その後背地として内陸工業も発展しています。近年では、歴史に培われた吉備文化と、高梁川の恵みをはじめとする豊かな自然環境を背景に、住宅都市・学園都市としての発展もみせています
市制沿革
旧総社市
明治8年6月29日 八田部村、清水村、井手市場、井手村、金井戸村が合併し、総社村と称する。
明治17年8月13日 総社村が金井戸村、総社村、井手村に分村する。
明治22年6月 1日 町村制施行により総社村、井手村が合併し、総社村と称する。
明治29年2月26日 町制施行により総社町と改称する。
明治41年2月11日 浅尾村を総社町に編入する。
昭和26年4月 1日 服部村、神在村を総社町に編入する。
昭和29年3月 1日 秦村、都窪郡三須村を総社町に編入する。
昭和29年3月31日 総社町、阿曽村、池田村、久代村、山田村、新本村、都窪郡常盤村が合併し、市制施行により総社市と称する。
昭和47年4月22日 昭和町を総社市に編入する。
旧山手村
明治22年6月 1日 町村制施行により窪屋郡西郡村、地頭片山村、岡谷村、宿村が合併し、山手村と称する。
旧清音村
明治22年6月 1日 町村制施行により窪屋郡黒田村、古地村、上中島村、柿木村、軽部村、三因村が合併し、清音村と称する。
総社市
平成17年3月22日 総社市、都窪郡山手村、都窪郡清音村が合併し、総社市と称する。