雪舟

漂泊の絵師―――雪舟。
その画跡を各地に残した禅僧は、従来の余技としての水墨山水画を芸術の域にまで高めました。


<生没年>
西暦1420~1506年 

雪舟七十一像(模本)

雪舟七十一像(模本)
(大阪・藤田美術館蔵)


その作品と生涯と宝福寺

井山宝福寺

雪舟が少年期修行した宝福寺


水墨画で有名な雪舟は、応永27年(1420)備中赤浜(現岡山県総社市赤浜)に生まれました。
幼くして井山宝福寺(総社市井尻野)へ入り、涙でネズミを描いたという逸話を残しています。 その後、京都の相国寺へ入りました。当時、相国寺には、日本の水墨画を代表する周文がおり、その薫陶を直接受けて、 天賦の才能に恵まれた雪舟は、やがて京都では名の聞こえた画家となりました。

中国に渡って絵の勉強をしたいと思った雪舟は、応仁元年(1467)中国の地を踏みました。
中国では各地を回りました。その中でも、天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一座」という高位の称号を受け、 雪舟は後世このことを誇りとして、作品にもはっきりと署名しています。


山水図

「山水図(倣玉澗)」
(重文・岡山県立美術館蔵)


帰国後は、山口の雲谷庵を拠点として石見(島根県)、豊後(大分県)と活躍の場を広げ、多数の作品を残しています。 そして、67歳の時に、雪舟の作品中最高傑作といわれている「山水長巻」を守護大名・大内氏に贈っています。

雪舟の創作活動は晩年まで衰えることなく、岐阜の正法寺、清水の清見寺などへも足をのばすとともに、82歳の頃には天橋立を巡り、その風景を写生しています。


雲谷庵

雲谷庵 (復元・山口市)


雪舟最後の地については、山口市の雲谷庵、益田市の大喜庵、岡山県芳井町の重玄寺など諸説がありはっきりしませんが、永正3年(1506)87年間の生涯を静かに終えました。


鎮田瀑図

「鎮田瀑図」
(京都国立博物館蔵)狩野常信模本


天橋立図

「天橋立図」
(国宝・京都国立博物館蔵)


山水長巻


「山水長巻」部分
(国宝・毛利博物館蔵/山口県防府市)


雪舟年譜

応永27年(西1420年)
雪舟、備中赤浜(岡山県総社市赤浜)に生まれる

永享3年(西暦1431)
この頃宝福寺に入り僧となり、その後京都相国寺に入り、春林周藤に師事する
相国寺にあって、名を等楊といい「知客(しか)」の職を務め、画を周文に学ぶ

寛政5年(西暦1464年)
周防(山口県)雲谷庵にある

応仁元年(西暦1467年)
遣明船寺丸で寧波に上陸、天童山景徳禅寺で禅班の第一座となる

応仁2年(西暦1468年)
北京の礼部院中堂に壁画を描く
「四季山水図」この頃描く

文明元年(西暦1469年)
帰国

文明8年(西暦1476年)
豊後(大分県)に天開図画楼を営む
「鎮田滝図」この頃か
呆夫良心「天開図画楼記(てんかいとがろうき)」を作る

文明11(西暦1479年)
石見(島根県)益田に住む

文明18年(西暦1486年)
周防に雲谷庵を新築し、『天開図画楼』と名付ける
了庵桂悟、雪舟のために『天開図画楼記』を作る
「四季山水図」(山水長巻)を描く

延徳2年(西暦1490年)
自画像を弟子秋月に与える

文亀元年(西暦1501年)
「天橋立図」この頃以降描く

永正3年(西暦1506年)
雪舟没す、行年87



雪舟顕彰事業

雪舟の素晴らしい業績や足跡を知ってもらうため、総社市では雪舟顕彰事業を行っています。


墨彩画公募展

第二の雪舟の誕生を願って、開催している墨彩画展。'96年に開催した第1回目には、国内外から1000点を超す作品の応募があり、 大好評でした。2010年に8回目の公募展が開催しました。


雪舟生誕地公園

すばらしい墨彩画を世に残し、画聖と讃えられる雪舟は、総社市赤浜に生まれました。これを記念して、岡山自動車道岡山・総社IC南約300mに位置する雪舟生誕地に公園を建設する予定です。


雪舟サミット

雪舟にゆかりのある市や町が集まって、交流を深める目的で開かれているのが雪舟サミット。 平成2年に総社市で第1回目が開催され、ゆかりのまちを回って平成9年で2巡目。 平成9年には、市民参加によるシンポジウムも開催され、市民全体で雪舟や墨彩画についての思いを深めました。