伝備中国府跡

でんびっちゅうこくふあと

 国府とは律令制下、備前国・備中国などの各国に置かれた役所のことで、その国の政治上・軍事上の中心として、中央から派遣された国司という官僚が執務を行なったところです。国司は、国を統治するため行財政・司法・軍事をつかさどり、郡の役人を指揮し徴税を行ないました。
 総社市が含まれる備中国は、9郡97郷が管轄下にあり、国府はそのうちの賀陽(かや)郡に置かれたと記録されています。国府が置かれた場所については定かではありませんが、「国府」「国府西」「北国府」などの小字名がみられる金井戸の地の中でも、「御所」の地名が残るこの場所が、有力な候補地となっています。
 そのほか、総社宮付近や、西阿曽周辺に求める見解もありますが、いずれにせよ備中国府は総社市内に存在したものと考えられます。

律令制:律(刑法)、令(行政法・訴訟法)の法典に基づく古代統一国家の統治体制です。日本でも7世紀後半から8世紀にかけて、律や令が制定されるようになりました。

伝備中国府跡

名称
伝備中国府跡
所在地
総社市金井戸
指定区分
市指定 史跡
時代
奈良~平安時代
指定年月日
昭和58(1983)年3月10日
管理者
総社市(国から委託管理)