美袋本陣跡

みなぎほんじんあと

 美袋は江戸時代、松山往来の宿場町として栄えました。この宿場で、諸大名などが宿泊した本陣は、大庄屋の田辺家でした。明治元(1868)年には、官軍方の岡山藩が幕府方の松山藩を鎮定する際に、この美袋本陣で松山城の明け渡しについての会談がもたれました。
 明治維新後は、地方制度改革によって戸長と呼ばれる役人が執務した戸長役場となり、その後村の役場として使用されました。
 戦後、建物などは取り壊され、現在は岡山西農業協同組合昭和支店の事務所と店舗などが建っています。今は、傍らにある標柱が当時を思い起こさせるのみです。

松山往来: 山陽道の板倉宿(現:岡山市北区吉備津字板倉)から分かれ、松山城下(現:高梁市内山下)に達する道です。
戸長: 明治5(1872)年の大区・小区制による地方制度の改革で、小区ごとにおかれた役人のことです。庄屋や名主から選ばれ、一般の行政
事務を執り行ないました。明治22(1889)年、市町村制の施行により「町長」、「村長」に名を改めました。

美袋本陣跡

名称
美袋本陣跡
所在地
総社市美袋
指定区分
市指定 史跡
時代
江戸時代
指定年月
昭和41(1966)年4月14日
管理者
岡山西農業協同組合