備中国分寺五重塔

びっちゅうこくぶんじごじゅうのとう

 日照山国分寺は、奈良時代に創建された備中国分寺の再建を目指した増鉄和尚により、江戸時代・享保2年(1717)年から19年の歳月を費やして建立されたものです。
 吉備路のシンボルともいうべき五重塔は,国分寺の再興からおよそ100年後の文政4(1821)年ごろより、証旭和尚によって建立が図られました。工事が完了したのは、天保14(1843)年か弘化元(1844)年のことといわれています。県内唯一の五重塔で、初重から三重までがケヤキ材を、四重以上がマツ材を主に使用しています。

備中国分寺五重塔

名称
備中国分寺 五重塔
所在地
総社市上林
指定区分
国指定 建造物
時代
江戸時代
指定年月日
昭和55(1980)年12月18日
管理者
国分寺
形式・構造など
方形で一辺は三間、本瓦葺
大きさ・寸法
総高34.315m


【初重内部】
初重には、須弥檀を設け、心柱の周囲には釈迦(しゃか)・阿弥陀(あみだ)・宝生(ほうしょう)・阿閤(あしゅく)の四如来像を配しています。    


【初重天井部】
初重の天井には、備前長船の住人横山春篤が、杉板に描いた天女や花鳥の彩色画がはめ込まれています。