備中国分寺跡建物群〔庫裏 裏書院 経蔵〕

びっちゅうこくぶんじあとたてものぐん
〔くり うらしょいん きょうぞう〕


 現在の国分寺は、奈良時代に建てられ中世に廃寺となった備中国分寺を再建しようと、清水山惣寺院住職増鉄和尚が、領主蒔田氏から再興の許可と国分寺の跡地を賜り、江戸時代・享保2(1717)年から19年の歳月を費やして建立したものです。建設に費やした費用は、銀360貫目、金に換算すると5,000~6,000両にのぼったといわれています。領主蒔田氏の援助が大きかったためか、武家的な書院造風の簡素な建物となっています。

庫裏
 寺院の台所にあたる建物、あるいは住職および家族の住むところ。入母屋造りの二階建、本瓦葺となっています。
裏書院
 住職の居間兼書斎として用いられた部屋。切妻造の二階建、本瓦葺となっています。
経蔵
 経本を保管する蔵。屋根は、各隅から傾斜をもって中央の一点に集まる宝形造で、本瓦葺。一辺4.3mの正方形の建物で、壁は白の漆喰(しっくい)を厚く塗った耐火構造となっています。

備中国分寺跡建物群〔庫裏 裏書院 経蔵〕

名称
備中国分寺跡建物群〔庫裏 裏書院 経蔵〕
所在地
総社市上林
指定区分
県指定 建造物
時代
江戸時代
指定年月日
昭和49(1974)年5月31日
管理者
国分寺