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広報そうじゃ
せっしゅうそぞろ歩き─11
人物画における革新性と独創性 雪舟は一般には山水画家と思われていますが、人物画にも秀でていました。人物といっても肖像画だけではありません。北京の僧魯庵(ろあん)は雪舟のことを「生来、絵がうまく、仏・菩薩(ぼさつ)・羅漢(らかん)などの像において、筆をとれば即座に描きあげる」と語っています。 雪舟の仏画は、京都東福寺にいた明兆(みんちょう)という画僧の画風を基礎としたと考えられます。この東福寺はこれまで何度か触れてきたように、雪舟が少年のころに入った総社の宝福寺や、後に交際する山口の禅僧たちと深い関係にありました。雪舟の大作「慧可断臂図(えかだんぴず)」(国宝 斉年寺蔵)も明兆の「達磨図(だるまず)」(東福寺蔵)とよく比較されます。しかし、雪舟が随分たくさん制作したはずの仏画の多くは散逸してしまい、図様を含めその全体像を十分に把握するまでには至っていません。 とはいえ、雪舟の人物画における革新性、独創性は、例えば「渡唐天神図(ととうてんしんず)」(岡山県立美術館蔵)に見出すことができます。これは「天神が中国に渡って無準師範(ぶじゅんしばん)に禅の教えを請った」という室町時代の禅僧間に広く流布していた荒唐無稽(こうとうむけい)な伝説に基づいた画題で、雪舟の時代にも多く描かれていましたが、おおむね型にはまったものでした。その型とは、道服を着て仙冠(せんかん)を被り、肩から袋を提げ、梅花一枝を携え て正面向きに直立する礼拝像(らいはいぞう)としての性格を有する図柄で、図上には高名な禅僧が賛詩を書き入れるというスタイルでした。 ところが、雪舟の天神は太い松に腰掛け、斜め前方を眺めています。礼拝の対象に顔をそむけられては拝むことはできません。表情からも神性が抑制され、菅原道真(すがわらのみちざね)という実在の学者、文人といった風情が漂います。また、天神の前後には梅や松の枝が巧みに配され、奥行きを強調する雪舟らしい空間構成が発揮されています。あわせて画面を埋め尽くすことで賛詩の入る余地を閉ざしており、文学からの独立、画家の絵だけで完結することの重要さを主張しているのです。本図には「行年(ぎょうねん)八十二歳雪舟筆」の款記(かんき)があって最晩年の作と判明しますが、雪舟の筆はなお盛んでした。
 | 渡唐天神図 雪舟筆 (岡山県立美術館蔵) |
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