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広報そうじゃ
 

  雪舟逍遥〈せっしゅうしょうよう〉
せっしゅうそぞろ歩き─10

破墨山水図で自らをアピール
 67歳で描いた「山水長巻(さんすいちょうかん)」(国宝 毛利博物館蔵)は雪舟作品の金字塔として広く知られていますが、雪舟が最も雪舟らしい作品を制作するのは70歳を過ぎるころからと考えられます。中国から帰国後、さまざまな画風上の挑戦、試行錯誤を経て、自らのスタイルを確立したことが、この時期の作品に現れているのです。
 例えば、教科書に掲載され、長野オリンピックの公式ポスターに使用されるなど、よくご存じの「秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)」(国宝 東京国立博物館蔵)もその一つです。現在は秋と冬の二幅対となっていますが、もともとは春夏秋冬を描く四季山水の四幅対セットでした。景物をジグザグに配置して視線を奥に誘う秋景図。突如あらわれる岩壁や断崖で空間を閉ざす冬景図。どちらも雪舟独自の典型的な構図です。それは夏珪(かけい)という中国画人に学びながらも、新たな世界を切り開いたことを明快に示しています。
 さて、この連載の8.でも少し触れましたが、76歳の雪舟は、画の修業を終えて鎌倉へ帰る弟子宗淵(そうえん)から記念の絵を望まれたので「破墨山水図(はぼくさんすいず)」(国宝 東京国立博物館蔵)を描き与えました。それは輪郭線ではなく墨の濃淡、にじみやかすれなどによって景物を表現する、いわゆる玉澗様(ぎょくかんよう)の作例でした。ところが、他のものとは違って瀟洒(ようしゃ)なところが際立ち、どちらかといえば、雪舟らしくない作品に仕上がっています。その絵の上に雪舟は自筆で制作の経緯とともに中国に渡って画業を深めたことや日本で学んだ如拙(じょせつ)や周文(しゅうぶん)の尊さ、学習の大切さなどについて記しました。さらに注目すべきは、その雪舟の序文の上に京都の著名な禅僧6人の賛詩が書き込まれていることです。それによって雪舟はこの絵を宗淵に与えて都へ届け、名だたる禅寺の住職たちに賛文を依頼したということが判明します。そこには、粗荒さゆえに都で不遇であった雪舟が、都の禅僧たちに「こうした都好みの作品が描ける」ことをアピールする狙いがあったのではないでしょうか。この絵は、雪舟が自ら水墨画の故郷中国を訪ねたこと、およびその本流としての如拙―周文画系の後継者であることを強く意識して制作したと想像し得るのです。

文/岡山県立美術館学芸課長 守 安  收(おさむ)


出山釈迦図
国宝 破墨山水図
(東京国立博物館蔵)
雪舟筆
Image:TNM Image Archives
Source:http://TnmArchives.jp/

 

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