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広報そうじゃ
せっしゅうそぞろ歩き─8
中国の画風を体得 「拙宗(せっしゅう)」を改め「雪舟」と号した彼は、48歳で中国(明(みん))へ渡航して港町の寧波(にんぽう)に到着します。そして、郊外にある天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)に参禅し、修行僧としては最高位にあたる「首座(しゅそ)(第一座、座元ともいう)」という位を授けられました。 雪舟はこれを誇りとし、終生この称号を用いています。さらに、首都北京を訪ね、礼部院(れいぶいん)の壁画を制作して賞賛されたという記事を伝えています。 また、彼は中国のさまざまな名勝や都市、村落、そこで目にした人々や生物・器物を事細かくスケッチしたようです。鎮江市(ちんこうし)の金山寺(きんざんじ)や甘露寺(かんろじ)など北京からの帰途に見た風景を描いたとされる「唐土勝景図巻(とうどしょうけいずかん)」。また、王や僧、道士などさまざまな身分の中国人や南蛮(なんばん)・天竺(てんじく)といった外国人を描いた「国々人物図巻(くにぐにじんぶつずかん)」などの写しをみることができます。 雪舟は50歳で帰国しますが、76歳の折、この入明時のことを語っています(「破墨山水図(はぼくさんすいず)」自序。国宝。東京国立博物館蔵)。そこでは、当時の中国には優れた画師がいなくて、帰国後改めて日本で師事した如拙(じょぜつ)や周文(しゅうぶん)の偉大さが分かったとするのですが、実際には当時の明画や、それに先行する宋元画の影響を相当受け、学ぶところが多かったようです。何しろ、雪舟が明に滞在中に制作した「四季山水図」(重文。東京国立博物館蔵)は、かつては日本人の作ではなく、明画と理解されていたほど中国的だったのです。 雪舟が中国の古典をしっかり学び、自分のものとしていたことは、「倣玉澗山水図(ほうぎょくかん)」(下の写真。重文。岡山県立美術館蔵)の存在によっても分かります。玉澗(おうじゅん)は宋末元初(13世紀)の画僧で、草体(そうたい)の山水画を得意としており、この絵は、玉澗の画風を雪舟がアレンジしたものです。雪舟が弟子に、「玉澗」という名人はこんな画風で描くのだと教え、あるいは玉澗風で描いてほしいという注文主に「これでいかがですか」と尋ねるメニューのような作例といえるでしょう。 現在、これと同じスタイルの李唐(りとう)・夏珪(かけい)・梁楷(りょうかい)らに倣(なら)った作品が6点伝わり、すべて重要文化財に指定されています。
 | 「倣玉澗山水図」 重要文化財 岡山県立美術館蔵 |

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