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広報そうじゃ 2006年5月号

 雪舟逍遥〈せっしゅうしょうよう〉

せっしゅうそぞろ歩き─2

本朝画史が記す雪舟
 雪舟さんにまつわる謎の多くは、48歳で中国へ渡るまでのいわば前半生の中に潜んでいます。一体どこで、どんな家に生まれたのか、どこで修行したのか、とりわけ雪舟と号する以前、40歳代の半ばまで何と名乗って制作していたのかなどです。出家以前の地位や身分を不問にするというのが仏家のありようですから、出自(しゅつじ)を語らぬということは決して不自然とはいえません。しかし、彼は前半生すべてについて一切触れませんでした。その沈黙ぶりは意図的に隠そうとしていたことを想像させるのではないでしょうか。
 それでは、誕生年から検証してみましょう。これは、例えば『山水長巻』のような制作年と年齢の両方が記された作品から逆算して、応永27年(1420)の生まれと知ることができます。当時の記録によると、この年は干ばつや飢きんのため、諸国に貧しい人が満ちあふれ餓死者も出るような災厄の多い恵まれぬ年だったようです。
 ところが誕生地関係となると、「備中」で「姓藤氏」としか判明しません。これは雪舟とごく親しい禅僧 了庵桂悟(りょうあんけいご)の証言によって確認できることです。ただし、備中のどこであるのかについての記述はなく、「備中赤浜(総社市赤浜)」という具体的な地名は、江戸時代17世紀後期の三つの史料にようやく見つけることができます。一つは笠岡の俳人在田軒道貞(ざいでんけんみちさだ)が編述した『吉備物語』であり、残る二つは広島藩の学者 黒川道祐(どうゆう)の著作『遠碧軒記(えんぺきけんき)』と、この道祐も関与してわが国最初の画家伝として編さんされた狩野永納の『本朝画史(ほんちょうがし)』です。これらのうち、当時公刊されたのは『本朝画史』だけで、京狩野(きょうがのう)当主の著述という権威をそなえた同書は、以後、大きな影響力を発揮します。実際、そこにはわれわれが有する雪舟に関する情報、一般的な知識のほとんどすべてが盛り込まれており、『本朝画史』が記した雪舟のイメージが後世の人々を支配したといってもよいでしょう。

岡山県立美術館学芸課長 守 安  收(おさむ)



画聖雪舟生誕碑
(昭和12年成稿・同14年完成 赤浜)

 
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