本文へジャンプ
総社市
文字サイズ
文字拡大文字サイズを標準に戻す文字縮小
背景切り替え
Language 
現在位置:HOMEの中の文化・スポーツの中の文化・文化財の中の県博誘致の中の講演会から第11回講演会
 
組織から探す
施設一覧

第11回吉備路再発見講演会

 県立博物館を誘致するにふさわしい吉備路の魅力を再発見してもらうことを目的に、11回目となる「吉備路再発見講演会」を開催しました。市内外から約100人が参加しました。

講演の概要

 開催日 平成20年11月15日(土)
 開催場所 備中国分寺 客殿
 講演 吉備国際大学 教授 臼井 洋輔
 演題 「古代吉備文化の栄光と破綻から学びとった岡山の文化」

<講師のプロフィール>
 臼井 洋輔(うすい ようすけ)
 昭和17年岡山県玉野市生まれ。岡山大学大学院博士課程修了。高等学校教諭、岡山県教育庁文化課課長代理、岡山県立博物館副館長などを経て、現在は吉備国際大学文化財学部教授。
 著書に「バタン漂流記」、「岡山の文化財」、「謎を秘めた古代ビーズ再現」など多数。
講演会

講演の概略

 古代吉備文化の繁栄と破綻から生まれた岡山の文化の素晴らしさ、真髄の秘密をその歴史、文化財から解く興味深いお話でした。

講演の要旨

 岡山文化の真髄とは何か。それを知った時、誰もが本当に仰天するでしょう。そうした岡山文化のエッセンスはどのような歴史を経て形成されたのでしょうか。

 弥生時代末期から古墳時代中期にかけての古代吉備国はわが国で最も栄えていました。米、塩、窯業、大陸の製鉄技術を取り入れて瞬く間に未曾有の繁栄を成し遂げ、当時どの地域にもないような大きな経済力を保有し、富を蓄えていったのです。しかし、こうした経験したこともないような繁栄の中で、体制内部や地域間に矛盾と軋轢が生まれていました。そして「クニ」から「国」へと日本が統一されようとする前夜に、矛盾はその頂点に達していきました。こうした機を見計らって大和政権は四道将軍(桃太郎)を派遣して吉備国を叩いたのです。そして吉備はアッという間に破綻してしまいました。敗れた吉備国にとっては「そこから先」において思いがけないことが起きました。政治以外の文化で再起を図っていたのです。

 以後岡山の文化は、どれも「もう一面の大切さ」に気づき、そして学び、「表面からは見えないところ」へ、誠心誠意手間暇と情熱を注ぐ生き方を見つけたのです。その結果、岡山で生まれた文化、モノは全国に圧倒的シェアで、しかも長期間にわたって、君臨することになったのです。

 私はこれまでも、何故岡山の文物が市場を制圧したかの理由を知りたいと思い、それを掘り下げれば岡山文化のエッセンスが必ず分かるはずであると確信して、岡山文化のエッセンスを岡山の文化財の中から抽出することを生涯の仕事にしております。そして、見えるものだけで勝負するのではなく、見えないものへ力を注ぎ、見えないものを魅せてきたのが実は岡山の文化であることに気づきました。
日本を文化財という物差しによってながめてみると、時代と共にモノは決して良くはなっていません。むしろ反対の場合が殆どであるという真理に気付きます。何時も例外なく、次の新しい時代を築くのは、激動に巻き込まれ、苦悩した人であって、新しい時代は新しい時代の人が築くのでは決してなく、前の時代で苦しんだ人々であることもまた歴史はよく示しています。

 「桃太郎」伝説は鉄の介在した吉備の国の繁栄と破綻の物語なのです。そのために吉備の国の栄光を語る時も、破綻を語る時も鉄なしでは語れません。そして吉備の国は、その鉄にまつわる歴史の教訓から大きなものを学び取って、まったく新しく生まれ変わって日本の文化的求心力を得ていったとしたら、岡山の未来を模索する時「鉄」なしでは何も見えはしないと思います。桃太郎説話の原典「温羅伝説(吉備津宮縁起)」は、「吉備は独りで儲けすぎだ。けしからん」と捉えることが出来ます。鬼とは何でしょうか。鬼とは矛盾であり、その収まりを付ける戦争のことです。矛盾というのは、どちらが正しく、どちらが間違っているというものではありません。大抵の場合拮抗しているのです。だから敗者の心も本来無駄には出来ないのです。そのような時は、一方に決してこの惨劇は忘れないという気持ちがあったのです。それほどショックは大きかったとも云えるのです。吉備の人は名を捨て実を取る行動に出ました。そうして、日本で初めて外見でないものを見ることに目覚めたのです。
 
 では、この古代吉備の破綻から生まれたものとは何でしょうか。吉備の国は内向型、つまり文化転換型で見事にリベンジしました。破れた者しか分からない「優しさ」でもって帰ってきたのです。この凄い岡山文化誕生の真相とは、弱者の心を取り入れた強者:ボロい原料、弱者と強者が1つのものの中に多様に混ざることで、それぞれの長所が見えないところで発揮できることを知って、それが最高のものを作る哲学となったのです。

 備前焼と備前刀は日本最高の工芸品として誰もが認めてきました。牛窓の船は頑丈でその上船足が速く、しかも普通のものより5年も長持ちすると定評があったと云われています。吹屋ベンガラは、色に深みがあって温かく、海外からも高く評価されていました。岡山後楽園には岡山らしさが秘められています。国宝 閑谷学校 国宝 吉備津神社 重文 牛窓本蓮寺本堂 重文 倉敷大橋家にも岡山の文化のエッセンスが見てとれます。また人物から見ても、そこには岡山文化のエッセンスを持って大きな仕事をなしとげた人が多数輩出しています。津田永忠は河内屋治兵衛とのコンビで岡山の土木石造文化を全国トップレベルに押し上げる仕事を成し遂げました。古代から中世の激動の狭間で、乱れる人心、迷う生き方への指針を示すという日本の宗教改革の1番バッター、2番バッターが法然と栄西でありました。宮本武蔵、宇喜多秀家、太田辰五郎、緒方洪庵、正阿弥勝義、逸見東洋、宇田川玄随など、時代の境目に日本を動かす人々が次々と登場していったのです。

 このように、ここ岡山には、多くの領域の文化(モノ・人・わざ・思想)において日本一になっているものが多々あるのです。何故岡山の文化が日本一なのでしょうか。そこにこそ凄い岡山文化誕生の真相・真髄が隠されています。それは「弱者の心を取り入れた真の強者」とも云えるかも知れません。それらを含めて何故モノ・人・わざ・思想、といった広範囲の文化で岡山が首座を占めたかの理由の最大のものとは何か。それは吉備国が、かつて何処も経験したことのない様な未曾有の日本では最も強烈な繁栄と最初で最大の突然の破綻、つまり未曾有のバブルの崩壊を体験したために、吉備国は歴史から、もう一面の真実があることを学び取ったのです。それだからこそ、日本が時代の境目で危機を迎えるたびに本領を発揮するのです。

 岡山文化誕生の動機は端的に云うと、絶頂の繁栄を得た直後に降りかかった破綻から学んだと云うことです。失敗から学んだ岡山文化とそのエッセンスとは、見えるものより、見えないものが美しくて価値があることを見抜き、しかも世の中に不要なものなど一切無いことを分かりやすく示していることだと思います。見えないところへこれでもか、これでもかと思いを込めて、誠心誠意手間暇かけていくと、それによって増えた見えないポテンシャルエネルギーが全てを包み込んで、思いもかけない奇跡的な美しさで結晶化することを見せたのです。

 私たちがこれからどうすればよいかについても、何も難しいことや理屈ではないのです。失敗は神から与えられたリベンジへの試練であるし、手抜きをせずに誠心誠意事に当たれば必ず展望は開けるということです。見えないところへ多くの価値を見つけ、努力しているから美しいのです。漂流し、政治、経済、教育とあらゆるものが負の増幅スパイラルとなって壊れている現代日本を立ち直らせるための、新領域へ誘導する「処方箋」は岡山文化のエッセンスの中にこそあるように確信いたします。

問い合わせ

 〒719-1131
 岡山県総社市中央六丁目9ー108
 県立博物館を誘致する会 総社商工会議所内
 TEL 0866-92-1122 FAX0866-93-9699
 Eメール scci@kibiji.ne.jp

 

よりよいホームページにするため、皆さまのご意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
このページの先頭へ